森のHARMONY

横浜から岩手県紫波の田舎に移住し紫波・盛岡の生活を中心にした話題を・・・森のharmony (田舎で種々雑多な混沌を楽しもう)

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お盆も過ぎ・・・親父の随想記

お盆迄は暑い日々で帰省した息子・孫達と近くの赤沢川で川遊び、大きな網で小魚を捕って孫よりも、息子の方が興奮していた、嫁さんは稚魚すくい。稚魚は素早い 体長 メダカの半分 体積10分の1 位。私も子供の時葛根田川でトライしたが、捕った記憶はない。お盆過ぎて皆帰ったら昨日の午前中まで 雨 それからは晴れで空は秋。保険の代理店の人来て ここら辺はお盆が過ぎれば1週間もしないうちに秋になります と言っていた。保険屋さんは PCの雷保険の申請書を取りに来た(幾ら 頂けるかしら 今まで保険は掛け捨てと思っていた?が此処に来て有難みを感じる)。PC win7 私的には xpの方が使い易いが、 ソフトのインストールやらセットアップなどで2日以上掛かっている。

ところで お盆に帰省 嫁さんと孫達が先に新幹線で来たので 新花巻駅に迎えにいったら 構内で絵手紙展 確か 昨年も 花巻には 有名な絵手紙の先生がいらっしゃる パネル5枚裏表なので 一部だけ紹介します。今年は 復興 がテーマ
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ところで 親父は定年後の仕事が終わってから お袋に習って 俳句を始めたが 俳句とは別に随想の原稿が見つかった 一部は街のタウン誌に載ったものや NHK俳句 夫婦で吟行 に載った 記事もあり、纏めて小雑誌に編纂した。俳句の小冊は何回かだしているが、 随想は初めて 原稿は私がワードで打って印刷屋さんが仕上げた。
師範学校の話 などなど・・・
結構面白いので、1、2編紹介します。 昔紹介したことものもありますがご了承お願いします。


s-國男 随想


一部と二部          の五

                「街」もりおか(私の思い出)寄稿文

 緑が丘地区に住んでいるので、旧男子師範学校跡(現三高周辺)を通るのだが、道路が四車線に拡幅整備されて左京長根豚小屋一番地の面影はさらに無い。周辺界隈も全く一変した。医大グランド、たばこ試験場から箱清水にかけては嘗っては一帯の小松原地であった。
 当時の男子学校には教練科目が必須で、週二時間は恐ろしい軍事教官殿との付き合いである。佐官級の現役将校が配属されて武を練り勇を鍛えられるのである。「本日は雨天のため学科」、この時間は姿勢正しく聴いているだけだから楽である。慷慨激憤つい掲示の世界地図を鞭で叩き破ったりの講話もある。
 晴天日、脚絆に背囊、三八式歩兵銃、帯剣の出で立ちで校庭に整列。中隊教練実兵指揮というわけ。
 「川村、中隊長の指揮を執れッ」。教官はエンマ帳を出す。颯爽と落合が進み出て指揮を執る。「ヨーシ、落合交代!」、今度は川村が出る。慣れたものだ。それぞれの採点がなされる。そんな不都合なことが、と思われるがまさに事実なのである。幸いどちらも優秀人物で同点だったということだ。
 校舎北方の小松原で戦闘が開始された。作戦状況が緊迫してくると、例の教官は決まって次の状況を下知する。「弾丸(たま)はボンボコ、ボンボコ飛んで来る・・・・。中隊長戦死、小隊長戦死、―さあ、どうするどうする」。指名された某君は立ちどころに一瞬「オレも戦死」と見事にひっくり返った。
 師範寮の生活も青春を賭けた忘れ難いものが一杯。夜の舎監点呼時に、一・二階の薄暗い廊下を上下して代弁役を勤めたのは誰だったか。リックを背に農園夜襲を試みた者は?。
 上田原頭に甍も高い我が学舎の殿堂は今は無い。僅かに旧門側の老桜一本が毎春を待つのみ。広いグランドの一隅では三高生の男女がテニスを競っていた。四十五年の今昔に一入の感無量を覚える昨今である。
                一九八四年(昭和五十九年)九月五日



       若い物理の教官
 戦時下の学生には軍事教練に一層の拍車がかかった。配属将校は勿論学生軍人養成に懸命である。教師団の中にも応召者が出たり帰還者もあったりで忙しかった。
 或る日の午後全校生徒が講堂に集められた。最近一線部隊から帰った若い物理の教官(一年志願の歩兵少尉)の戦線講話があるというのだ。授業が幾らかでも欠けるので大賛成で集合した。学校長以下職員も列席した。校長次席に配属将校(歩兵大佐、勲三等、功四級)が座り、その下に教頭といった順位は変わらない。
 シンガポール攻略作戦についての演題である。太平洋戦争(大東亜戦争)の皇軍は破竹の勢いでマレー半島を席巻して、遂にジョホール水道を隔てたシンガポール島に止めを刺す段取りである。
 幅千メートルの水道の海面に火を放そうとの英軍の作意か、重油が撒き流されて一面に黒々と鈍く光る。我が軍は砲弾の集積、渡河点の調査、舟艇の配備、兵力の集結も了り、真夜の戦局は不気味なまでに犇々と迫ってくる。正に機は熟している。
 と、突然真暗闇の中から一斉に火砲が噴き出した。上陸部隊への援護射撃である。彼我の砲火の炸裂は熾烈を極め真昼を欺く程だ。
 やがて彼氏は、ここがヤマ場と口角泡を飛ばし身振りもよろしく熱弁に入った。〝ドンドン、パチ パチ、シュッ シュッ、デン デン〟を繰り返し強調する。なかなか語呂口調が面白い。
 以下その解説。ドンドンは野砲や山砲或は迫撃砲、パチパチは小銃音、シュッシュッは機関銃、デンデンは重砲の轟音。火砲一六八門、一門当り弾数二一○○発とか。何時間位の話だったか。何れ敵将降伏、攻略成功万歳に終わったのだが・・・。
 今だに、ドンドン、パチパチ、シュッシュッ、デンデンは忘れ難く口に出る。と同時にあの金縁眼鏡をかけたハンサムな軍服姿と、白衣を纏った物理教室でのスタイリストとが交互に眼に浮かぶ。
 実験室の机の中にはいつも黒練の高級羊羹が入っていたとか。背丈の高く、明ら顔に、オールバックのダンデー男は旧大卒ほやほやであった。同性も憧れたのは直き最近のような錯覚を持つ。
 何処におられるのやら。七十歳は越した筈だが。

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退職後 実家のある 盛岡から南20数km、国道が近いがクマちゃんも出没する森の中に住んでます。

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