森のHARMONY

横浜から岩手県紫波の田舎に移住し紫波・盛岡の生活を中心にした話題を・・・森のharmony (田舎で種々雑多な混沌を楽しもう)

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ポンポコ教官殿 と俳句

緑ヶ丘地区に住んでいるので、旧男子師範学校跡(現三高周辺)を通るのだが、道路が四車線に拡幅整備されて左京長根豚小屋一番地の面影は更に無い。周辺界隈も全く一変した。医大グランド、たばこ試験場から箱清水にかけては寡っては一帯の小松原地であった。

当時の男子学校には教練科目が必須で、週二時間は怖い軍人教官殿との付き合いである。佐官級の現役将校が配属されて武を練り勇を鍛えられるのである。「本日は雨天のため学科」、この時間は姿勢正しく聴いているだけだから楽である。慷慨激憤つい掲示の世界地図を鞭で叩き破ったりの講話もある。晴天日、脚絆に背嚢、三八式歩兵銃、帯剣の出で立ちで校庭に整列。中隊教練実兵指揮というわけ。「川村、中隊長の指揮を執れッ」。教官はエンマ帳を出す。颯爽と落合が進み出て指揮を執る。「ヨーシ、落合交代!」、今度は川村が出る。慣れたものだ。それぞれ採点がされる。そんな不都合なことが、と思われるが正に事実なのである。幸いどちらも優秀人物で同点だったということが。

校舎北方の小松原で戦闘が開始された。作戦状況が緊迫してくると、例の教官は決まって次の状況を下知する。「弾丸(たま)はポンポコ、ポンポコ飛んでくる・・・・・・。中隊長戦死、小隊長戦死ーさあ、どうするどうする!」。指名された某君は立ちどころに一瞬「オレも戦死」と見事にひっくり返った。

師範寮の生活も青春を賭けた忘れ難いものが一杯。夜の舎監点呼時に一・二階の薄暗い廊下を上下して代弁役を勤めたのは誰だったか。リックサックを背に農園夜襲を試みた者は?

上田原頭に甍も高い我が学舎の殿堂は今は無い。僅かに旧門側の老桜一本が毎春を待つのみ。広いグランドの一隅では三高生の男女がテニスを競っていた。四十五年の今昔に一入の感無量を覚える昨今ではある。

1984年10月 街 もりおか No.202 私の思い出 から 国男筆

教え子の 大方白髪 菊膾

       花木(屋根叢書)より くに於

      大正7年雫石町生まれ昭和61年樹氷入会平成元年屋根入会平成4年俳人協会会員平成7年屋根同人

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退職後 実家のある 盛岡から南20数km、国道が近いがクマちゃんも出没する森の中に住んでます。

庭では薔薇100本程。

横好き・・・
庭いじりと散策(毎日が発見)、
なんちゃってオーディオ、
指がついて行かないクラシックギター、
株式チャート研究(何で利益が出ないの!!??)、
何これ写真と写真行、
気ままな料理、
どれを取っても毎日が進歩?の過程ですが。

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