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2014.09/06 [Sat]
紫波 志賀理和氣神社祭典 山車 と 日詰まつり
昨日から日曜日まで、日詰のお祭りがあるというので、今まで見たこと無いので、天気も良いし出かけてみた。 勝手が分からないので、2時半過ぎに出かけてみたら 日詰商店街には 人っ子一人もいない(チョット大げさ)は何時もの様子。只、屋台の出店がヤタラニ多い。こんなに屋台がでるとは。 テントの張ってる本部で聞いたら、あちこちバラバラで催しをしているようだが、夜の7時になると 全部ココに集まるというが、未だ3時前だ。
アリスでコーヒーでも 飲もうと行ってみたら 今日は貸切で ダメ。 オガールの図書館で時間つぶしと出かけたら、エライ人手、なんだろうと思ったら オガールの祭りだとかで、昨年は2日間で2万人以上集まったとか。 知らなかった。
5時に 日詰の商店街に戻り、早めの夕飯は 焼肉。 どんどん人が入ってくる。冷麺と焼肉(ロース、カルビ、ハラミ など)、旨かったが、食いすぎた。 未だ早かったが 外でブラブラしていたら、なんと 人が沸いてくる、どこからこんなに沸いてくる?
家に帰ったら8時半で なんと 日詰の街に 6時間も居たことになるんです。普通ではこんなに時間をつぶすのは難しい。
アリスの庭

祭りの前
パレード前の一休み


日詰の街の風景 そろそろ 夜のとばりが





パレード 紫波一中のマーチングバンド(思わず うまい)


盛岡大学のさんさ踊り・・・・えらく迫力ある(伝統さんさとは違いますが)





山車4台 志賀理和氣神社は 今年で 1210年なそうだ
上組 風流 車引き松王丸 見返し 紅葉狩り


上組 『風流 車引き松王丸』 『見返し 紅葉狩り』
梅が飛び、桜は枯るる 世の中に 何とて松はつれなかるらん 「菅原伝授手習鑑」は 成立当初の演出を大部分残している、「名作」と呼ばれる歌舞伎脚本の一つ。
平安時代、右大臣菅原道真が藤原摂関家に妬まれ大宰府に左遷され、やがて怨霊(雷電)となり都に祟った、との天神縁起を下敷きにした物語で、道真の牛飼い(舎人)の家に生まれた三兄弟が、一方は道真に付き、一方は悪役の左大臣時平に付く、という筋書きです。その中で最も華やかな場面が、吉田神社の社頭で三兄弟が喧嘩をする「車引きの場」で、正義の味方の梅王丸・桜丸は赤襦袢・悪に与する松王丸は白襦袢の着付け、それぞれ梅・松・桜が艶やかに縫い取られています。松王丸は始終悪役・嫌な奴として舞台に現れますが、最後の最後で一人息子を身代わりに、道真の遺児を救います(寺子屋の場)。実は、松王丸こそ、菅原家を守るため敢えて敵方に与し物語中最大の犠牲を払うという、大儀を貫いたじんぶつだったんです。見返しは『紅葉狩り』、鬼女の更科姫が美女に化けて攻め手をかどわかす美しい舞の場面。
下組 風流 倶利伽羅峠 見返し 女暫 巴御前



下組 『風流 倶利伽羅峠』 『見返し 女暫 巴御前』
平安時代の終わり、栄華を極めた平家一門が各地で挙兵した源氏の残党に敗れ、やがて都落ちを余儀なくされるというのはよく知られた話ですが、このとき平家の去った京に真っ先に入ったのが、信濃源氏の源義仲 通称「木曽義仲」と呼ばれる武人でありました。平家の都落ちをけっていづけたのが、有名な倶利伽羅峠の戦いです。兵力に圧倒的に劣る義仲軍は周到な兵の配置で敵軍の退路をふさぎ、日本史上まれに見る奇策を講じて大勝利を得ました。荷駄運びの牛を揃えその角に松明をくくり、平家の陣屋に放ったのです。怒涛のごとき「火牛」の夜襲に平家方はなすすべもなく、陣形を乱して谷底に落ちていきます。その有様はまるで、龍が火を吐きながら天に昇るような、実に華々しく勇ましいものでありました。義仲の愛妾として有名なのが、女武者の巴御前です。歌舞伎の暫は正義の味方の豪傑が悪党を退治する痛快な芝居ですが、この豪傑を女形に変えて演じる「女暫」では、巴御前が大太刀を振るって悪人退治をします。
一番組 風流 巌流島(途中で宮本武蔵が飛び上がる) 見返し 南面の桜




一番組 『風流 巌流島』 『見返し 南面の桜』
江戸時代の初め、日本一の剣士と称えられた二人が船島という無人島で命がけの決闘をしました。一人は、豊前小倉の細川家に召抱えられた剣術師範 巌流佐々木小次郎、そしてもう一人、諸国流浪の果てしない修行を続け剣の理法を磨き上げた作州浪人 宮本武蔵。武蔵は決闘場に遅れて現れ、長刀を抜いた拍子に鞘を打ち捨てた佐々木小次郎に「小次郎、やぶれたり」と悲しい目でつぶやきました。勝とうと思うものは、再び刀を納める鞘を捨てたりはしない と。武蔵のこの日の武器は、島に向かう船の上で、即席で削り上げた割れ櫂の木刀、そのいでたちも獲物さえも、無念の一言に尽きるまことに簡素なものでした。 山車は木剣を振りかぶって跳躍する宮本武蔵と、それを鋭く狙う佐々木小次郎「物差し竿」の一閃、両者の雌雄が決する劇的な一瞬を切りました。見返しは赤石神社に残る岩手県内最古の桜「南面の桜」に。武蔵を慕い追い続けるお通の姿を添えて。
橋本組 風流 鳴神 見返し 雲の絶間姫


橋本組 『風流 鳴神』 『見返し 雲の絶間姫』
成田屋歌舞伎十八番の一つ「鳴神」は、「一角仙人」という雨乞い祈祷の舞曲がもとになっています。いずれも並はずれた神通力を持つ修行者がその術をもって雨を司る龍神を封じる、国中を日照りにして権力者にあらがうという筋書きで、権力者サイドがこれに対して採る対策は、修行者のもとに美女をつかわし色仕掛けで術をやぶるという、まことに世俗的な手であります。鳴神上人のもとには宮中一の美女 雲の絶間姫が送られ、誘惑の末に術をやぶります。当初の切り揃えられた長髪に白装束という清廉な姿を、ぼさぼさ頭・白地に稲妻・黒雲・火焔という荒々しいいでたちに一変させた鳴神上人、「だまされた」と悔しがっても後の祭りで、姫の手で既に滝壺の注連縄は切られ、龍神が天に放たれ辺り一帯雷雨の有様。今回橋本組が取り上げたのは、鳴神の怒りを表す最も有名な型「柱巻」で、寺院でよく目にする登り龍の姿から着想された見得なのだそうです。
☆奉納山車のご案内 が 赤石神社祭典協議会から出ており、それを書き写しました 誤植があるかも知れませんが悪し からず ご了承ください。
ところで 今回、お祭りとは言っても 私としては少しなめているところがありまして、どうせ田舎のお祭りだしと。
録音機を持って行くことは チラッとは 脳裏をかすめましたが、 全く気になりませんでしたが。
大失敗!! 凄い音です!!
山車の大人 子供 若者 力いっぱい 声を出し、太鼓をたたき 感動しました。
現像してみて感じたこと。
持参したカメラはEOS-5D と 70D EOS-5Dは ISO1600迄しか設定できない。 1/40SS以下でも、f値は点滅している(未だ露出が足りないという催促)でも手持ちで 1/20よりもスローは無理だし、かまわずパチパチ、もちろん後ろの液晶画面は暗い。 しかし、帰って現像してみたら、それでも 70Dよりは5Dの方が 好きな色合いの写真なんです。私が暗いという話は別にしても。
アリスでコーヒーでも 飲もうと行ってみたら 今日は貸切で ダメ。 オガールの図書館で時間つぶしと出かけたら、エライ人手、なんだろうと思ったら オガールの祭りだとかで、昨年は2日間で2万人以上集まったとか。 知らなかった。
5時に 日詰の商店街に戻り、早めの夕飯は 焼肉。 どんどん人が入ってくる。冷麺と焼肉(ロース、カルビ、ハラミ など)、旨かったが、食いすぎた。 未だ早かったが 外でブラブラしていたら、なんと 人が沸いてくる、どこからこんなに沸いてくる?
家に帰ったら8時半で なんと 日詰の街に 6時間も居たことになるんです。普通ではこんなに時間をつぶすのは難しい。
アリスの庭

祭りの前
パレード前の一休み


日詰の街の風景 そろそろ 夜のとばりが





パレード 紫波一中のマーチングバンド(思わず うまい)


盛岡大学のさんさ踊り・・・・えらく迫力ある(伝統さんさとは違いますが)





山車4台 志賀理和氣神社は 今年で 1210年なそうだ
上組 風流 車引き松王丸 見返し 紅葉狩り


上組 『風流 車引き松王丸』 『見返し 紅葉狩り』
梅が飛び、桜は枯るる 世の中に 何とて松はつれなかるらん 「菅原伝授手習鑑」は 成立当初の演出を大部分残している、「名作」と呼ばれる歌舞伎脚本の一つ。
平安時代、右大臣菅原道真が藤原摂関家に妬まれ大宰府に左遷され、やがて怨霊(雷電)となり都に祟った、との天神縁起を下敷きにした物語で、道真の牛飼い(舎人)の家に生まれた三兄弟が、一方は道真に付き、一方は悪役の左大臣時平に付く、という筋書きです。その中で最も華やかな場面が、吉田神社の社頭で三兄弟が喧嘩をする「車引きの場」で、正義の味方の梅王丸・桜丸は赤襦袢・悪に与する松王丸は白襦袢の着付け、それぞれ梅・松・桜が艶やかに縫い取られています。松王丸は始終悪役・嫌な奴として舞台に現れますが、最後の最後で一人息子を身代わりに、道真の遺児を救います(寺子屋の場)。実は、松王丸こそ、菅原家を守るため敢えて敵方に与し物語中最大の犠牲を払うという、大儀を貫いたじんぶつだったんです。見返しは『紅葉狩り』、鬼女の更科姫が美女に化けて攻め手をかどわかす美しい舞の場面。
下組 風流 倶利伽羅峠 見返し 女暫 巴御前



下組 『風流 倶利伽羅峠』 『見返し 女暫 巴御前』
平安時代の終わり、栄華を極めた平家一門が各地で挙兵した源氏の残党に敗れ、やがて都落ちを余儀なくされるというのはよく知られた話ですが、このとき平家の去った京に真っ先に入ったのが、信濃源氏の源義仲 通称「木曽義仲」と呼ばれる武人でありました。平家の都落ちをけっていづけたのが、有名な倶利伽羅峠の戦いです。兵力に圧倒的に劣る義仲軍は周到な兵の配置で敵軍の退路をふさぎ、日本史上まれに見る奇策を講じて大勝利を得ました。荷駄運びの牛を揃えその角に松明をくくり、平家の陣屋に放ったのです。怒涛のごとき「火牛」の夜襲に平家方はなすすべもなく、陣形を乱して谷底に落ちていきます。その有様はまるで、龍が火を吐きながら天に昇るような、実に華々しく勇ましいものでありました。義仲の愛妾として有名なのが、女武者の巴御前です。歌舞伎の暫は正義の味方の豪傑が悪党を退治する痛快な芝居ですが、この豪傑を女形に変えて演じる「女暫」では、巴御前が大太刀を振るって悪人退治をします。
一番組 風流 巌流島(途中で宮本武蔵が飛び上がる) 見返し 南面の桜




一番組 『風流 巌流島』 『見返し 南面の桜』
江戸時代の初め、日本一の剣士と称えられた二人が船島という無人島で命がけの決闘をしました。一人は、豊前小倉の細川家に召抱えられた剣術師範 巌流佐々木小次郎、そしてもう一人、諸国流浪の果てしない修行を続け剣の理法を磨き上げた作州浪人 宮本武蔵。武蔵は決闘場に遅れて現れ、長刀を抜いた拍子に鞘を打ち捨てた佐々木小次郎に「小次郎、やぶれたり」と悲しい目でつぶやきました。勝とうと思うものは、再び刀を納める鞘を捨てたりはしない と。武蔵のこの日の武器は、島に向かう船の上で、即席で削り上げた割れ櫂の木刀、そのいでたちも獲物さえも、無念の一言に尽きるまことに簡素なものでした。 山車は木剣を振りかぶって跳躍する宮本武蔵と、それを鋭く狙う佐々木小次郎「物差し竿」の一閃、両者の雌雄が決する劇的な一瞬を切りました。見返しは赤石神社に残る岩手県内最古の桜「南面の桜」に。武蔵を慕い追い続けるお通の姿を添えて。
橋本組 風流 鳴神 見返し 雲の絶間姫


橋本組 『風流 鳴神』 『見返し 雲の絶間姫』
成田屋歌舞伎十八番の一つ「鳴神」は、「一角仙人」という雨乞い祈祷の舞曲がもとになっています。いずれも並はずれた神通力を持つ修行者がその術をもって雨を司る龍神を封じる、国中を日照りにして権力者にあらがうという筋書きで、権力者サイドがこれに対して採る対策は、修行者のもとに美女をつかわし色仕掛けで術をやぶるという、まことに世俗的な手であります。鳴神上人のもとには宮中一の美女 雲の絶間姫が送られ、誘惑の末に術をやぶります。当初の切り揃えられた長髪に白装束という清廉な姿を、ぼさぼさ頭・白地に稲妻・黒雲・火焔という荒々しいいでたちに一変させた鳴神上人、「だまされた」と悔しがっても後の祭りで、姫の手で既に滝壺の注連縄は切られ、龍神が天に放たれ辺り一帯雷雨の有様。今回橋本組が取り上げたのは、鳴神の怒りを表す最も有名な型「柱巻」で、寺院でよく目にする登り龍の姿から着想された見得なのだそうです。
☆奉納山車のご案内 が 赤石神社祭典協議会から出ており、それを書き写しました 誤植があるかも知れませんが悪し からず ご了承ください。
ところで 今回、お祭りとは言っても 私としては少しなめているところがありまして、どうせ田舎のお祭りだしと。
録音機を持って行くことは チラッとは 脳裏をかすめましたが、 全く気になりませんでしたが。
大失敗!! 凄い音です!!
山車の大人 子供 若者 力いっぱい 声を出し、太鼓をたたき 感動しました。
現像してみて感じたこと。
持参したカメラはEOS-5D と 70D EOS-5Dは ISO1600迄しか設定できない。 1/40SS以下でも、f値は点滅している(未だ露出が足りないという催促)でも手持ちで 1/20よりもスローは無理だし、かまわずパチパチ、もちろん後ろの液晶画面は暗い。 しかし、帰って現像してみたら、それでも 70Dよりは5Dの方が 好きな色合いの写真なんです。私が暗いという話は別にしても。
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NoTitle
いや~立派なお祭りですね。
山車が立派。
結構賑やかなんですね。